プロフィール

こんにちは 

心と体のバランスを整え 素晴らしい明日へ

心のロックを外し 自由を手に入れ楽に生きる

つなぐつなげるカウンセラー 

和田 夏芽(わだ なつめ)です。

35年の養護教諭勤務を経て、

「Office こころと体のSANTE カウンセリングルームみくまり」を開きました。

開業のきっかけは、現職中に悩む多くのお子さんや保護者の方々と出会い、

そして自身の経験から、一人でも多く、一日でも早く、お悩みを整理し、

正しく感情を語ることによって、「自由に・自分らしく・楽に生きられるようになれる」、そのお手伝いしたいと強く思ったからです。

わたしは、失った心のエネルギーの回復は、人で回復したいと考えます。

エネルギーを回復してくれるものには大好きなペットや旅行、趣味などがあります。

どれもOKで、必要なことではありますが、

長い目で見ると、人との関わりは生きる上で、なくすことのできない事柄であり、

人との関りで回復することは、

いたってシンプルで確実な近道の方法だと考えるからです。

ですから、わたしはお悩みを得ている方々との出会いを大切にしています。

 そして、お悩みの回復を、何から始めたらよいか見極め、コーディネートし、

自分を生きるための心のエネルギーの回復をお手伝いさせていただきます。

また、子どもさんのサポートもいたします。

 

長年の経験を活かし、一人一人にぴったりの方法をみつけ、

しなやかで強い心と素晴らしい明日へとサポートします。

資格
養護教諭、公認心理師、学校カウンセラー、ガイダンスカウンセラー、特別教育支援士、介護士、英国式リフレクソロジーリフレクソロジスト、メンタルトレーナー

    

【いじめ、摂食障害、デートDV、ストーカー被害、パワハラ・セクハラ、結婚と離婚、心因性高血圧症、パニック障害、うつ そして、回復】

 いじめ、摂食障害、デートDV、ストーカー被害、パワハラ・セクハラ、結婚と離婚、心因性高血圧症、パニック障害、うつ。これらは、全て、わたしが経験したことです。

わたしはこれまで、がまんとがんばり、そしてあきらめる人生でした。

それは、がまんしてがんばっていれば、周囲の人に認められ、理解されて、悲しい気持ちから逃れられると思っていたからです。

しかし、結果は全く逆でした。

愚痴も言わずにがんばり続けるわたしは、

周囲から「よい人」と言われても、

仲良くなる人もできず、孤独感が増すばかりでした。

 本当のわたしは、新しいことや冒険、お笑いが大好きで、自由を好む人間です。

 なのに、親に気を遣い、姉に気を遣い、周囲に気を遣い、

がまんして、自分のしたいことを後回しにして、

「するべきこと」と「周りがうまくいくこと」だけを重視していました。

 こんなわたしが、今では自由を手に入れ、楽に生きている。

誰でも、わたしでも幸せになっていい!心からそう思えるようになりました。

ここまでの道のりについて、お話しします。

興味を持ってくださった方は、ぜひ詳しいプロフィールをお読みください。

こころの居場所がない 幼少時代

 先天性の心臓病を患い幼児期は入退院を繰り返していました。

カッとしやすく暴力を見せる父、働き者で否定的ことばかり言う母、怒りっぽい姉を

家族にもち、

そのせいか、心配をかけないように、叱られないように、暴力に合わないように、家族を怒らせないように、母が少しでも楽になるように、いつも気を遣い生活をしていました。

特に父の暴力は姉に向かうことが多かったので、姉を守らなければという気持ちがとても強かったのを覚えています。

もともと、話がゆっくりだったわたしは、テンポの早い母と姉の会話になついていけず、話をしようとすると「遅い!」といって叱られました。

叱れて泣くと、「すぐに泣いて、そんなことでは社会でやっていけない」と言って、

さらに叱られました。

その結果、わたしは、手伝いをよくする、勉強にも学校生活にも問題のない、

あまり話をしない「よい子」になりました。

嫌と言えず、頼まれると断われない。「大丈夫」が口癖で、甘えるということも相談するということもわからないし、自分のことを後回しにしても誰かのために何かしていることは当たり前のことで、人が嫌がるようなことはかってでてしまう。それでいて、要領が悪く、もたついて、それでも自分で解決することが「自立だ」と信じ込み生活するような子どもでした。

この生活は、40代後半までの約40年間続きます。

心の中はいつも満たされず自信がない。家の中に居場所がなく、悲しい気持ちでいっぱいで、小学校の頃から「幸せになりますように」と祈りを捧げていました。

中学時代・・・いじめ

 中学生になり、周囲から信頼されるようになりました。

 よく言えば、いつも笑顔で誰とも仲良くできる問題のない子。しかし、見方を変えると仲

良くするというよりは、喧嘩をしないといった方が正しい、自己主張のない子どもです。

思春期の多感な時期、こんな子はよく思われない。

そんな中、仲のよかった友だちが転校し、友だち関係が変わりました。

「言わないでね」と言われた「好きな人」を、他の人に言ってしまったことがきっかけとなり、中学3年の時に、いじめにあいました。

しかし、いじめにあった理由は、他の人に言ってしまったことではなく、

誰とでも仲良くしていたこと、友だちの悪口を言わなかったことでした。

驚いたわたしは、「いじめられても仕方がない。考え方が違う。でも、言ってしまったのはわたしが悪い。だから自分は幸せになってはいけない人間なんだ」と「理解」しました。わたしは自ら心にカギをかけて、ロックしたのです。

学校では一人で過ごし、ぎりぎりに登校し、逃げるように帰宅する。

そして、家族に気付かれないように、いつも通り振る舞い、何も感じないようにして生活

していました。

悲しみや辛さは、全て「幸せになってはいけない人間」「優しいことは強いこと」と納得させ、堪え続けました。

 いじめにあっていることを親に知られることは恐怖でした。

母から聞かれることも、いやな顔をさせることも、心配する顔も見たくなかったし、

知ったところで、どうにもならない、どうせ叱られると思っていました。

高校~大学時代:摂食障害(やせと肥満)

高校は女子高を選びました。

「好きな人」問題でいじめにあったわたしは、男子がいるからいじめにあったんだ、男子さえいなければ同じことは繰り返えされないと思いました。

高校は平和な毎日を過ごしました。

いじめの経験から、人間不信に陥っていましたが、それでも仲の良い友だちが数人できました。友だちは2,3人いれば十分で、その人となら一緒にいても安心することができました。

そんな平和な生活でしたが、高校2年の時、摂食障害(やせ)を経験します。

きっかけは母の「太っている。お尻が大きくてみっともない」の言葉です。

毎日のように言われていたので、嫌気がさし、さまざまなダイエットを試みました。

最初はおやつを食べないくらいの軽い食事制限でしたが、細くなっていく足やそれにと

もない落ちていく体重が嬉しくて、さらに食事制限に励みました。

カロリーのないわかめをふんだんに使った食事や油と炭水化物を制限しました。

ダイエットの本ばかり読み研究しました。

洋服がぶかぶかになり、顔にはシワが入るようになりましたが、きゃしゃな体はいい感じ

に思えました。

しかし、そのうち徐々に体の異変を感じるようになりました。

骨ばった体や顔のシワだけでなく、

胃が痛むようになり、髪が抜け始めたのです。

体が、おかしい。恐怖でした。しかし、食べないことを辞めることはできない。

食べることも食べないことも怖くて怖くて不安で不安で仕方がありませんでした。

ある日、胃の痛みに耐えられず、病院を受診。胃下垂と診断されました。

大したことはないと思いました。ドクターからは、「食べないと治らない。痛くても我慢

して食べるように」と指示されました。

この診断に、なぜか悔しかったのを覚えています。

 

それから、生きるのに必要な量を義務のように食べました。

そして、食べたもので体が作られているということを経験したわたしは、栄養学を学ぶため、大学に進学しました。

 そんなわたしを、「栄養学なんて」と言って母は認めてはくれませんでした。

大学では、寮には入りました。地方から集まった友だちは皆優しくて、

たいして話もしないわたしを責めることなく、付き合ってくれました。

話をしなくても怒られないことに安堵し、少しずつ自分のことを話せるようになっていきました。

しかし、大学3年の時、二度目の摂食障害になりました。大学時代で経験したのは過食です。きっかけはよくわかりません。ただ、何か不安だったことを覚えています。

体重がどんどん増えて、どうしたらいいかわからず、吐くことと食べることを繰り返し、なんとか体重を維持することに精一杯だったように思います。

この頃から、高めの血圧が始まりました。

就職:暴力、ストーカー、セクハラ・パワハラ、同僚からのいじめ

就職も母ともめましたが、反対を押し切って地元で養護教諭になりました。

そして、就職先で知り合った人から暴言を言われ続けるという精神的暴力を受けます。

不安定なその人に、わかってあげられるのは自分しかないと思い込み、イライラしたその人の暴言を受け続けました。それは5年間続きました。抵抗することもできず、ただ恐怖を感じながらの生活。暴力を受けたことのある人はわかると思いますが、逃げ出そうにも恐怖で逃げることもできないのです。

誰にも相談できず、その分、ただただ懸命に働きました。

その後人の手を借りて、離れる決意をしましたが、なかなか離れられず、

見張られたり電話を鳴らされ続けたり、今でいうストーカー行為を受けました。

どこで見ているかわからない恐怖。

休みの日は怖くて外に出ることもできず、出かけても、

一目散に帰ってきて息をひそめている。

電話の音にびくびくして、布団の上でじっとしているような、そんな毎日でした。

ストーカー行為はなくなっても、心の恐怖はなくなることはありませんでした。

そして、そのような中、異動先でのパワハラ・セクハラ、同僚からのいじめ等を受けました。

これも、誰にも言うことができず、一生懸命がんばっていれば、よい仕事をしていればわかってくれる人がいると信じて過ごしました。

しかし、分かってもらえるどころか、うわさが悪いうわさ話となり、ないことばかり広がっていきました。沈黙はYESを示すものだということを思い知らされました。

その時、わたしには、戦う力など、どこにも残っていませんでした。

男性との付き合いもうまくいかないことばかり。会おうとすると体調が悪くなったり、自分の気持ちをわかってほしいと依存したい気持ちになったりして、続かないのです。

結婚、離婚、パニック障害

その中で29歳の時知り合った人と、知り合って半年で結婚しました。

とても穏やかな人でそれだけでいいと思いました。

今思えば、家から出たい、環境を変えればこの辛い気持ちが何とかなると思ってした結婚だったと思います。

しかし、その人はお金と女性の問題があり、話し合いもできず、耐えらなくなって、1年で家を出て、3年で離婚しました。

この頃から、さらにいつも心が重く、罪悪感に満たされ、恐怖でいっぱいとなりました。

例えるなら、厚い真綿でくるまれた上に、ブラックホールを飼っているような感覚です。

心のブラックホールはなんでも吸い込んでいくのです。

その頃はパニック障害が発症していて、狭い空間は緊張して具合が悪くなるので、研修会場ではいつも“すぐに逃げることができる”ドアの近くに座ったり、バスやエレベーター、タクシーには乗れず、それも悟られないようにしたりして過ごす。

強い不整脈に襲われ、呼吸が苦しくなって、

車の運転を止めて休むこともしばしばありました。

死ねる勇気もないけれど、うまく生きることもできない。

毎日が辛くて、このままではいつか病気になると感じていました。

今思えば、この頃も十分に症状がでていたと思いますが、自分では気付かずに、

「まだまだ努力が足りない。もっとがんばらなくちゃ」と思っていたのです。

そして、「まだ幸せになってはだめなのか。まだ許してはもらいないのか」と考えては、

「わたしは幸せになってはいけないんだ」と、またさらにカギを固く締めなおしていました。

仕事が居場所、がんばり続ける

その中で、仕事は唯一自分の居場所でした。

次に異動した先は市町が変わって、大変環境の良い職場でした。

うわさ話など耳にせず、仕事の評価をしてくれます。

わたしはそれが嬉しくて、一生懸命仕事をしました。

困ってる子どもたちに寄り添い、困り感の糸口を探し、支援する。そのために教育相談、心理、特別支援教育を夢中で勉強しました。

特別養護老人ホームでのボランティアを始め、

その学びから介護士の免許を取得しました。

また、その頃通っていたリフレクソロジーが体の調子を楽にしてくれる経験から英国式リフレクソロジーも学びました。

子どもたちのためにもなり、

何かしていれば、自分に自信が持てるような気もしました。

うつ発症

しかし、ある日涙がとまらなくなってしまったのです。

こころも体も疲れ切っていました。これでは、子どもたちの前に立つことができない。

仕事を休む決心をしました。

うつです。

うつはとてもつらかった。毎日罪悪感と絶望感に襲われ、死にたくて死にたくて仕方がないのです。死にたい気持ちを耐える。その反面、仕事に早く戻りたくて仕方がなかった。

独学で、認知行動療法を学び、症状の改善のために行動しました。

辛さを耐えぬき、治療に励み、1年で職場復帰。

それからは以前よりも増して仕事に励みました。

本当のことを語り、回復へ

せっかくうつになったにもかかわらず、真綿にくるまれてブラックホールを飼う、悲しみと恐怖でいっぱいの心の状態は、治ったとは言えませんでした。

「本当のことは隠している」ことを、自分自身が一番よくわかっていました。

かんばり続ける、がまんし続けることにも限界があることも感じていました。

そして、4年前。そのつらさに耐えられなくなり、死ぬくらいなら「まだしていないこと」をしようと「本当のことを語る」ことを決め、心理セラピーをうけました。

「本当のこと」とは、今まで言えなかった幼いころに辛かった出来事や暴力を受けていた頃のことです。

心理セラピーにより、自分の中に押し込めていた悲しみや怒りや不安を語り、

自分でその辛さを認めることにより、劇的に物事の見方が変わっていきました。

自分はだめな人間だと思っていた考え方の癖も、驚くほど矯正されたのです。

幸せになっていいんだ

 ということを、初めて感じることができた瞬間でした。

自己理解そしてカウンセラーの道へ

数々の経験の中で、わたしにはHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン:生まれつき感受性が強く敏感な気質をもった人)や不注意の傾向の器質があることもわかってきました。

その上で両親との関係によるアダルトチルドレン、さらに暴力の経験や環境から、

心の不安定を生み出していたとも考えらえます。

 

 こんな辛い日々が50年ほど続きましたが、今では、心が楽になり、自由に行動することができます。何年も続いた200近くあった血圧も正常に戻っています。

常に重くのしかかっていた肩こりや頭痛も軽減しています。

不整脈もほとんど消失しました。

不安や恐怖で動けなくなることもありません。

そして、わたしは、以前のわたしに戻らないように、今でも心のトレーニング続けています。そのおかげか、しなやかな心の筋肉がついてきて、強くなり保たれています。

自分の性質がわかってきたおかげで、楽に生きられるように、辛くならないように予防しながら生活することもできるようになりました。

他者の感情に左右されずに、自分でいられることができるのです。

人間一つのことでは、症状は起きません。3つ以上になると堪えられず、バランスを崩し、なんらかの心身の症状が現れると言われています。また、個人の器質に環境要因が加味されて、絡み合い、症状が起きてきます。

しかし、それはだれのせいでもありません。もちろん、あなたのせいでもありません。

正しく感情の対処することが必要なのです。

なによりわたし自身が、正しく対処すれば、自分自身を生きることができるとことを経験しました。誰でも幸せになっていいのです!

わたしは、心理学、栄養学、特別支援教育、教育学、そして心の仕組みのセラピーなどから多角的に症状を見極め、おひとりおひとりにあった心の回復の方法を提供いたします。悩む多くのお子さんや保護者の方々と出会い、そして自身の経験から、

一人でも多く、一日でも早く、お悩みを整理し、正しく感情を語ることによって、

「自由に・自分らしく・楽に生きられるようになれる」、

そのお手伝いしたいと思っています。

これを読んでくださっているあなたが、もし心のエネルギー失っているのなら、

わたしとのつながりの中で回復できたらと思います。

ただ、回復にはカウンセラーとの相性や信頼関係が重要です。

このようなわたしとカウンセリング内容に興味を持ってくださった方、

あるいはご自身のお悩みや苦しさを考え解消したい方は、お気軽にご連絡ください。

一人でできないことも力を合わせ、解消するコツを知ることで、回復への道筋ができていきます。